shivering in blue

旧チキンのロンドン留学記

陽キャと陰キャと人種と文化。⑵

陽キャと陰キャと人種と文化。⑴ の続きです。

 

さて、ここで少し自分語りをします。そもそもブログって自分語りしかしないけど。

 

「グループ」に苦しんだ幼稚園〜高校

私は人付き合いが苦手なんだと思う。少なくとも、得意ではない。

特に、クラスという固定化された枠内に厳然と存在するグループというものとの相性が、どうにも悪いらしい。

 

まず、幼稚園では、リーダー格の子におべっかを使う日々に疑問を感じていた。

(母のママ友集団に小姑とあだ名されるような子供だったので)

次に、小学校では、クラスの女子が二大政党制をとる中、

無所属 修学旅行の部屋割の人数調整には使える派 に属していた。

さらに、中学校では、グループへ所属していたものの、うーんという気持ちだった。

(グループにいた個々の友達は好きなのだ。「グループ」となると、なんか腑に落ちなくなる。そこだけは誤解しないでほしい。)

そして、高校では、気づいたらぼっち弁当をかましてた。

 

寂しい。寂しいよお!カオナシもびっくりの寂しさだよお!

グループって、クラス替えした日の放課後にみんなで話し合って決めてるの?

私が知らないだけで?

 

さて、私のこの寂しさはやや屈折したものだった。

 

第一の屈折は、グループに所属していなくて空気のような存在になっている自分も嫌だし、かといってグループに存在していたところで「真の友情」(なにそれ)ではないような気がして寂しい、というもの。

 

第二の屈折は、クラスの「陽キャ」も「陰キャ」も内心バカにしており(ここが私の一番の問題点だろうな)、ひとりお弁当を食べながら、「陽キャグループ」と「陰キャグループ」に個々の女子グループを分類し、クラス内ヒエラルキーピラミッドを脳内に書き上げる一方、「ああ、一軍女子に生まれたかった」「せめて陰キャグループに加入できたら」と心の奥底では思っていたことである。つまり、陽キャ>陰キャであり、自分は両者ともに馴染めないけれども、陰キャにより近いという基本方針だ。

 

この寂しさを、

1) 空気にはなりたくないし、自分の「中身」(そんなものあるん?)を見てほしい。

2) 人の集団を二分し、片方をより良いものを思いつつ、両方の集団に馴染めない。

 

とすると、あら不思議。今の寮での状況にそっくりじゃないか!!!

 

毎日、どこにも所属できていないという感情を抱いたまま、あそこは欧米テーブルと思って寮の食堂でご飯を食べる自分の内面は、高校の頃、1人でお弁当を食べながらあそこは陽キャグループ(実は内部で亀裂が入ってるのを私は知っているよデュフフフ)と思ってた自分の内面と符合する。

 

はっきり言おう。

私の内面世界では、欧米人=陽キャ、アジア人=陰キャなのである。

もう自分のレイシストさが隠せなくなってきた。(次の記事(完結編)へ。)