shivering in blue

旧チキンのロンドン留学記

一学期の振り返り(1)

2019年になって2週間が経とうとしている。ようやく一学期分のレポートが全て終わったので、遅ればせながらここまでの留学を振り返ってまとめたい。フェイスブックに載せるにはもう賞味期限がきているので(というか近況報告としてあまりにも冗長すぎるので)、ここで。

 

ありがたいことに、これまでの留学を1枚で表現できそうな写真がある。

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これは冬休みに旅行したハンガリーの首都ブダペストで、たまたま通りかかった道の写真だ。これまで訪れたヨーロッパの街はあちらこちらにいろんな石像が立ってるので、最初に私の目を引いたのは、奥のモニュメントではなくて、手前のぐちゃぐちゃした、風雪に晒された紙やら蝋燭やら、敷き詰められた小石やらだった。もっと正確に言うと、たぶん一番に目を引いたのは有刺鉄線だ。

 

1週間前に旧アウシュビッツ収容所を訪れた私にとって、有刺鉄線は強く心を刺激するモチーフだった。等間隔にきっちり並んだ電灯、等間隔にきっちり張られた鉄線、等間隔にきっちり建てられたバラック、等間隔にきっちり殺された人たち。アウシュビッツへの入場券に描かれたモチーフは有刺鉄線だった。ヨーロッパの特定の文脈では、有刺鉄線はホロコーストを意味するのだろうか。

 

少なくとも、ブダペストの路傍に張られたミニ有刺鉄線はホロコーストを意味していた。ぶら下がっている紙によると、2014年にハンガリー政府が設置した、ドイツによるハンガリー侵略を象徴するモニュメント(ハンガリー=天使ガブリエルがドイツ=黒鷲に襲われている)に抗議するために、ここに有刺鉄線やカバンや白黒写真があるのだ。ハンガリーがホロコーストに加担した歴史を修正しようとしている、ホロコーストの責任はドイツだけのものではない、という抗議だ。道ゆく観光客はみな足を止め、写真に収めていた。

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My mother was killed in Auschwitz. Thank you “Archangel” Gabriel.

 

 

歴史という、公共財としての記憶を管理するのは誰なのだろうか。「ハンガリーがホロコーストに加担した。」というとき、「ハンガリー」は何をさすのだろうか。それは、いま・ここを生きる人と関係があるのだろうか。

 

「ハンガリー」を宗教的なものに象徴させるのは公平なのだろうか。

モニュメントに抗議するモニュメントが撤去されないのは、言論の自由のためなのだろうか。

 

 

 近代はいいぞ。

 

社会学は近代フェチだ。初学者ながら、ここはあえて言い切りたい。

自分に社会学史を講義した教授の影響を強く受けているとは思うが、私は近代化が社会学の成立の条件だと思う。あるいは、「中世」と「近代」の線引きの手がかりになるたくさんの事象の中に、「社会学の誕生」もあるのかもしれない。

 

当時の教授の説明をそのまま使えば、中世はみんな身分が生まれた瞬間に決まっていて、しかもみんなで同じ神様を信じていたので、グループから外れちゃう人がいなかったけど、近代になると世俗化が進むし身分制も緩くなるので、グループから外れちゃう人とかグループを変える人とか、グループとの関係が多様化して、「そもそもグループってなんなの?」となり、その疑問符から社会学は萌芽した。人間が束になって生きるところから政治や経済や文学という現象が起きているわけだけれども、そもそもその大小様々な束同士や束と1人の人間が関わりあうってなんなのだろうか、を考える学問なんじゃないのかなぁ、と最近は思っている。友人が別件のために考えたコピーだが、要約すれば私にとっての社会学は「『わたしたち』が『共に生きる』こと」を考察する学問だ。

 

ということで、社会学に心惹かれている私は近代にも心惹かれる。なんでもかんでも「近代」の中にくくっているだけのような気がするけれども、次の記事から「近代」をテーマに今学期を振り返りたい。(結局このエントリでは振り返りしないんかーい。)